ありのままに生きる

社会不適合なぼっちおやじが、自転車、ジョギング等々に現実逃避する日々を綴っています。

直立二足歩行の人類史 人間を生き残らせた出来の悪い足

ジェレミー・デシルヴァ 著  赤根洋子 訳「直立二足歩行の人類史」メモ

ジェレミー・デシルヴァ 著  赤根 洋子 訳
「直立二足歩行の人類史」メモ

第2部 二足歩行の起源

第9章 中つ国への移住
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【まとめ】
ホモ・サピエンスの汎アフリカ的進化は35万~26万年前に起き、その期間を通じてアフリカ大陸中を移動しながら徐々に進化。
・7万年前からおよそ1万年前までの間、ホモ・サピエンスは歩き続け、世界中に広がった。
・5万年前までさまざまな種のホミニンが少しずつ違う歩き方で地球上を歩いていたが、まもなく、ホモ・サピエンスだけが生き残った。
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★人類は移動しつづけてきた
・人類誕生の時と場所を明確に特定するシンプルなストーリーは間違っている。
ホモ・サピエンスの最古の頭骨化石が、モロッコ南アフリカエチオピアから見つかっている。
・これらはアフリカ大陸という巨大な三角形の三つの頂点に当たる場所。
ホモ・サピエンスは一つの特定の場所で一度に誕生したわけではない。
・ホミニンの集団がアフリカ全土を移動しながら遺伝子を交換する間、ゆっくり進化した。


ホモ・サピエンスの汎アフリカ的進化は35万~26万年前に起きた。
・その期間を通じてアフリカ大陸中を移動しながら徐々に進化した。


ケニアのオロルゲサイリエ遺跡で30万年前の地層から黒曜石の石器が発見された。
・その黒曜石はそこから60マイル離れた採石場の石と成分が一致した。
・オロルゲサイリエで暮らしていたわれわれの祖先は、象徴的に考え、離れた場所の人々とものやアイディアを交換していた。
・われわれは歩く探検者、旅人。
・歩くことで新たな土地へと移動していった。


ギリシャの洞窟で19万年前のホモ・サピエンスの上顎骨が発見された。
ホモ・サピエンスは考えられていたよりも早く中東・ユーゴスラビアに進出した。
・先住者のネアンデルタール人により押し戻されたらしい。
・進出と後退が繰り返された。
・7万年前までにダムは決壊し、ホモ・サピエンスはヨーロッパとアジアに流れ込んだ。


・DNA分析の結果、ホモ・サピエンスネアンデルタール人やデニソワ人と交配、かれらの遺伝子プールを自身のそれの中に吸収していたことが明らかになった。
・現代人のDNAの中にも、これら絶滅した人類の痕跡が残っている。


・6万5千年前:ホモ・サピエンスはオーストラリアに渡っていた。
 2万年前:オーストラリア大陸を横断して南東部に進出した。
・北進した人々は、北極圏のツンドラ地帯を通過、北米と地続きだった広大な地域に住み着いた。
・彼らは繁栄し、東進を続けてアメリカ大陸に進出した。


★最初の靴
アメリカ先住民が居住していたフォートロックの洞窟で、ヤマヨモギの樹皮をより合わせて平らな籠のような形に編んで作ったサンダル75個が見つかった。
・これらのサンダルは9千年前に作られたもの。
・このサンダルは発見された最古のものだが、ヤマヨモギの樹皮のような腐りやすい素材が発掘されることはない。
・ずっと以前から人類は靴を履いていた。


・人類の足指の骨は昔はもっと太かった。
・靴を履き始めたことで足指の骨が細く弱々しくなった。
・足指が細くなったことが確認できる最古の例は、北京近郊で発見された4万年前のもの。
・同様の骨は、モスクワの100マイル東に位置する3万4千年前のスンギール遺跡からも発見されている。


・1万3千年前、カナダ・ブリティッシュコロンビア州カルバート島の浜辺を歩き、29個の足跡を残した。
アメリカ先住民はその後も南下を続け、1万2先年前までにチリに到達。
・同じ頃、モカシンンを履いた足で東へ進んだ人々は現在のニューイングランドまでやってきた。
・7万年前からおよそ1万年前までの間、ホモ・サピエンスは歩き続け、世界中に広がった。


ホビット、そして新たな種
インドネシア東部のフローレス島のリアンブア洞窟の5万年前の地層からホモ・フローレシエンスが発見された。
・親知らずがすでに生え、すり減っている小さな成人の頭蓋骨だった。
・脳の大きさはチンパンジーのそれをかろうじえ上回る程度だった。
・腕や脚の骨のサイズはルーシーとほぼ同じだった。
・ルーシーの種が生息していたのはアフリカで、300万年以上前。
・メディアはこれを「ホビット」と呼んだ。


・島という環境では、大きなものは矮小化し、小さなものは巨大化する。
フローレス島自信がホビットを生み出したのかもしれない。
・自然選択は身体の小さな個体の生き残りに有利に働いたかもしれない。
・遺伝的隔離による近親交配が要因となり、ホモ・エレクトスを祖先とする残存種が非常に新しい時代まで生き残ったのかもしれない。


・ホモ・フローレシエンスの脳はホモ・サピエンスのそれより小さかった。
・アウスウトラロ・ピテクスの脳のサイズ・レンジに収まるほど小さい。
・身長や手足の比率もアウストラロピテクスに近い。
・骨盤の形もアウストラロピテクスに似ている。
・足と手の解剖学的特徴にも彼らとの共通点がある。
・アフリカを出て世界に広がった最初のホミニンはホモ属ではなく、アウルストラロピテクス属かもしれない。


・出アフリカの旅を実行するにはホモ属の長い脚が必要だったと断定するのは早計かもしれない。
・脚の短いアウストラロピテクスの生息域は、東西2千マイル(3200km。チャドからエチオピアまで)以上、南北4千マイル(6400km。エチオピアから南アフリカまで)近くの広大な範囲に及ぶ。


・最初の移住者の末裔はホビットだけではなかったかもしれない。
・フィリピンのルソン島の洞窟でも、比較的最近まで生き残っていた小柄なホミニンが発見された。
・これまでに発見されたどのホミニンのものとも異なっていた。
・この新種はホモ・ルゾネンシスと命名され、5万年前の化石。
フローレス島にもルソン島にも100万年近く前からホミニンが住んでいたことが石器から分かっている。


ホモ・サピエンスがアフリカで進化していた頃、ネアンデルタール人はヨーロッパで獲物を追い、デニソワ人はアジアで道具を作っていた。
・東南アジアの島々には、二種の小柄なホミニンが住んでいた。


★ホモ・ナレディの発見
・アフリカのライジングスター洞窟で、ホモ・ナレディと命名された26万年の化石が発見された。
・頭骨は小さく、脳のサイズはホモ・ハビリスと同等。
・歯は比較的小さかったが、アウストラロピテクスや初期のホモ属同様、親知らずが大臼歯の中で最も大きかった。
・腕はルーシーより短かった。
・手の骨はヒトに近い。
・骨盤と腰はルーシーに似ている。
・脚はホモ属と同じように長いが、間接が比較的小さい。
・足は、現代人の標準からは扁平足で足指が湾曲していることを除けば、かなりヒトに近い。
アウストラロピテクスよりはヒトに近いが、ホモ・エレクトスほどヒトに近くない。

・ホモ・ナレディは再初期のホモ・サピエンスと同時代に生きていた。
・26万年前の最近まで、初期のホモ・サピエンスはホモ・ナレディやネアンデルタール人、デニソワ人、ホビットと共存していた。
・彼らが顔をあわせていたこと、交雑していたことは疑いない。
・彼らはみな二足歩行していたが、その歩き方は少しずつ違っていた。


・5万年前までさまざまな種のホミニンが少しずつ違う歩き方で地球上を歩いていた。
・まもなく、ホモ・サピエンスだけが生き残った。
・二足歩行するホミニンが現在なぜホモ・サピエンスだけなのかは不明。
・われわれがネアンデルタール人とデニソワ人を絶滅させたわけではい。
・われわれは彼らと交雑し、彼らを自分の遺伝子プールに吸収した。
・ホモ・ナレディと島のホビットの運命は今も謎に包まれたまま。