見城 尚志、 佐野 茂 著「幾何で見える 必ずわかる一般相対性理論」メモ
第5章 時間の取り込み
本書はシミュレーション仮説やVRについて科学哲学的に考察している。各章の導入後、すぐに禅問答みたいのが始まって、はあ?ちょっと何言ってのかわかんない 状態に陥りつつ、どうにか無理やり最後まで読んだ。
近年のコンピュータ性能、シミュレーション技術の向上により、我々の宇宙自体が、ひとつ上の階層にいる存在が作ったコンピュータ・シミュレーションの中にあるのではないか?という「シミュレーション仮説」が展開されているようだ。
シミュレーション仮説のような考え方は、今現在の知識で理解できないことは、ひとつ上の階層の仕業としたり、全知全能の神の御業とし、問題を棚上げしているようで、好きではない。
シミュレーション説を否定したくなるのは、よく考えてみると、自分がシミュレーションの中にいるだけの、はかない存在であることを認めたくない、という思いからかもしれない。
著者によると、バグのない完全シミュレーションの場合、その中の人がシミュレーション内部にいることを知るのは困難とのことだ。この物理世界がシミュレーションかどうか知ることも難しいようだ。
救いなのは、たとえシミュレーションの中にいるとしても、その中にいる人にとってその世界は本物のリアルなものであるとのことだ。
VR(仮想現実)の場合も同様で、VRの中に存在するモノやその中で体験したことは空虚な幻ではなく、リアルなもので、良くも悪くも実人生に影響を与えるものになるそうだ。
VR空間の中で様々な人と交流し、豊かな人生を送ることができるようになるとか書いてあったけれど、たくさんの人と触れ合いたいなんて思っていないので、ウザと思ってしまった...。
現実逃避するのなら、VR空間の中ではなくて、現実空間の中で実際に体を動かしてヒーハーしたい。そのうちに仕事でVRを使うようになるのかもしれないけど、今のところプライベートで積極的にVRを体験したいとは思わない。
そもそも生命(単細胞生物やウィルスなどは別として)は、それぞれの脳(または脳に相当する器官)が作り出すVRの中に生きていると思われる(感覚器官が検出した情報を脳に送り、脳がそれらを処理・再構成して我々に見せているから)。我々は命がけのVR空間を生きているのであって、そこにさらにVR空間を作るとか面倒くさって思ってしまう...。
デイヴィッド・J・チャーマーズ 著 高橋 則明 訳
「リアリティ+ バーチャル世界をめぐる哲学の挑戦」メモ
第7部 シミュレーションの中の真実
第24章 私たちは夢の世界のボルツマン脳なのか?
<まとめ>
・懐疑論的シナリオでグローバルになりうるものはなかった。
・外部世界に関する懐疑論に答えるための戦略は、経験から構造を導きだし、構造から実在を導きだすこと。
デイヴィッド・J・チャーマーズ 著 高橋 則明 訳
「リアリティ+ バーチャル世界をめぐる哲学の挑戦」メモ
第7部 シミュレーションの中の真実
第23章 私たちはエデンの園から追放されたのか?
<まとめ>
・バーチャルな物体にはエデンと同じ意味の「ソリッド、色、空間」は存在しないが、機能的な意味では変わらずに存在する。
・現実世界は、関連する役割を果たしている構造の世界であり、正しい見方は<不完全実在論>。
・通常の実在とVRの両方で、エデンは解体され、意識を中心とする構造的核だけになったが、VRは実在と同等のまま残る。
デイヴィッド・J・チャーマーズ 著 高橋 則明 訳
「リアリティ+ バーチャル世界をめぐる哲学の挑戦」メモ
第7部 シミュレーションの中の真実
第20章 バーチャル世界で私たちの言葉はどういう意味をもつか?
<まとめ>
・内側と外側から見たときのシミュレーションの違いは、実在にかかわる違いではなく、言語の違い、それに関連する思考や認識の違い。
・論理と数学の言葉は環境に固定されないので、「内在主義の言葉」に見え、そこでは外在主義が機能しない。
・意味論的外在主義は、シミュレーション・リアリズムが全面的に真になりうるかを説明できない。