ありのままに生きる

社会不適合なぼっちおやじが、自転車、ジョギング等々に現実逃避する日々を綴っています。

サピエンス全史

ユヴァル・ノア・ハラリ 「サピエンス全史」メモ 

サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福

 

 ユヴァル・ノア・ハラリ 「サピエンス全史」メモ

第4部 科学革命

第15章 科学と帝国の融合

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【まとめ】
・近代前期にヨーロッパが伸ばした潜在能力は、近代科学と資本主義。
・ヨーロッパ人が特別なのは、探検して征服したいという無類の飽くなき野心。
・科学革命と近代帝国主義は相互依存関係にあり、ヨーロッパ諸帝国は、巨大権力の行使により 世界を変えたため、これらの帝国を単純に善悪に分類可不能
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・太陽は地球からどれだけ離れているか?
・金星の日面通過(太陽と地球を結ぶ線上)に要する時間を異なる地点で観測し、三角法を使えば、太陽から地球までの距離が計算できる。
日面通過観測のため、ヨーロッパから世界各地に遠征隊が出向いた。
・1761年にシベリア、北アメリカ、マダガスカル南アフリカで科学者が日面通過を観測した。

・1769年の通過の際は、カナダ北部やカリフォルニアにまで科学者をおくり出した。
・ロンドン王立協会は天文学者チャールズ・グリーンをタヒチ島へ派遣、いくつかの学問分野の科学者8人から成るチームも同行した。
・経験豊かな船乗りで、地理や民族誌に通じたジェイムズ・クック船長が指揮した。
・遠征隊はタヒチ島で金星の日面通過を観測、太平洋の島々、オーストラリアとニュージランドを訪れ、1771年に帰国した。
天文学、地理学、気象学、植物学、人類学の膨大なデータを持ち帰り、以降の各世代の博物学者や天文学者に刺激を与えた。
・クックの遠征で集められた情報、壊血病の効果的治療法の発見は、イギリスが世界の海を支配し、地球の裏側にまで軍を派遣する力を持つことに貢献した。

→科学革命と近代の帝国主義は切っても切れない関係にある。


●なぜヨーロッパなのか?
・クックの遠征の前まで、イギリス諸島とヨーロッパ西部は、地中海世界から離れ、取り残された場所にすぎなかった。
・ヨーロッパが軍事的、政治的、文化的発展の重要地域になったのは、15世紀末のこと。
・1500年から1750年までの間に、ヨーロッパ西部は、南北アメリカ大陸と諸大洋の征服者になったが、アジアの列強には及ばなかった。
・ヨーロッパ人がアメリカや海上の派遣を制したのは、アジアの国々がそれらに興味を持たなかったから。

・1750年から1850年にかけて、世界の権力の中心がヨーロッパに移った。
・ヨーロッパ人が戦争でアジアの列強を倒し、その領土を征服した。
~1900年:ヨーロッパ人が世界経済を掌握、世界の領土の大半を押さえた
~1950年:ヨーロッパ西武とアメリカ合衆国が全世界の生産量の半部以上を占めた。中国の占める割合は5%に減じた。
・ヨーロッパの支配下で新たな世界秩序と文化が生まれた。
・今日、人類全体が服装や思考、嗜好の点で、多くをヨーロッパに倣っている。

・ヨーロッパ人は、どのようにして全世界を征服しえたのか?
・1850年以降は、軍事・産業・科学複合体とテクノロジーを拠り所とした。
・1500年から1850年にかけての時代、ヨーロッパはアジアの列強に対してテクノロジー、政治、軍事、経済のどの面でもあきらかな優位性を享受していたわけではないが、独自の潜在能力を高め(価値観や神話、司法組織、社会政治的な構造)、その重要性が1850年ごろに突如として明らかになった。
・近代前期にヨーロッパが伸ばした潜在能力:近代科学と資本主義


●征服の精神構造
・近代科学とヨーロッパの帝国主義との歴史的絆を作り上げたのは何?
・植物を求める植物学者と、植民地を求める海軍士官が似たような考えをもっていたこと。
・科学者も征服者も無知を認めるところから出発した。
・両者とも外に出て行き、新たな発見をせずにはいられなかった。
・そうすることで獲得した新知識で世界を征する願望を持っていた。

 

●空白のある地図
・15世紀から16世紀にかけて、ヨーロッパ人は空白の多い世界地図を描き始めた。
→心理とイデオロギーの上での躍進であり、ヨーロッパ人が世界の多くの部分について無知であることをはっきり認めるもの。

アメリカ大陸の発見は科学革命の基礎となる出来事だった。
・ヨーロッパ人は、アメリカを征服したいという欲望により猛烈な速さで新しい知識を求めざるをえなくなった。
・地理、気候、植物相、動植物、言語、文化、歴史について、新たなデータを大量に集めなければならなかった。
・以降、ヨーロッパではほぼすべての分野の学者が、後から埋めるべき余白を残した地図を描き始めた。
・彼らは最初の真にグローバルな帝国・交易ネットワークを編成した。
・別個の民族と文化の歴史がいくつも並行していたものが、一つに統合された人間社会の歴史になった。

・ヨーロッパ人による探検と征服のための遠征は異例のものだった。
・それまで、その種の遠征は敢行されなかった。
・たいていの人間社会は地域内の争いや周囲との揉め事で手一杯だった。
・遠方の土地まで行き着いたのは、自国の拡大により、離れていた国が隣国になったからにすぎない。
・ヨーロッパ人が特別なのは、探検して征服したいという無類の飽くなき野心があったから。

 

●宇宙からの侵略
・1521年ごろ、アステカ帝国の首都は焼き尽くされて荒廃し、帝国は過去のものとなった。
・スペインによるメキシコ征服からわずか10年のうちに、フランシスコ・ピサロ南アメリカインカ帝国を発見し、1532年にそれを征服した。
・アステカ族やインカ族は、周りの世界に興味を示し、周囲の国にスペイン人が何をしたかを知っていれば、スペイン人にもっとうまく抵抗できたかもしれない。
・視野が狭かったために高い代償を払う羽目になったのはアメリカ大陸の先住民だけではない。
 アジアの数々の帝国:オスマン帝国、サファヴィー帝国、ムガル帝国、中国など
→世界はアジアを中心に回っていると信じ続け、ヨーロッパ人と競おうとしなかった。

・20世紀になり、非ヨーロッパ文化にもグローバルな視点が取り入れられ、これがヨーロッパ諸国の覇権を崩壊させる要因の一つとなった、

 

●帝国が支援した近代科学
・帝国を築く人たちの敢行と科学者の敢行は切り離せなかった。
・近代ヨーロッパ人にとり、帝国建設は科学的な事業であり、科学の学問領域の確立は帝国の事業だった。
・帝国が言語学や植物学、地理学、歴史学の研究に資金提供したのは、実用面の利点だけではない。
・帝国が科学によりイデオロギーの面で自らを正当化できた事実がある。
・新しい知識により、理論上は征服された諸民族への援助が可能になり、「進歩」の恩恵を与えることが可能。

・ヨーロッパの諸帝国は、巨大な権力を行使し、大きく世界を変えたため、これらの帝国を単純に善や悪に分類できない。

・今日のエリート層は、多様な人間集団にはそれぞれ対照的な長所があると主張するとき、文化間の歴史的相違の視点から語る。
→「血統」とは言わず、「文化のせいだ」という。