ユヴァル・ノア・ハラリ 「ホモ・デウス」メモ
ユヴァル・ノア・ハラリ 「ホモ・デウス」メモ
第1部 ホモ・サピエンスが世界を征服する
第3章 人間の輝き
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【まとめ】
・意識の流れは、感覚及び欲望の主観的経験。
・大規模な人間の協力は、想像上の秩序を信じる気持ち(共同主観)に基づく。
・共同主観的現実は客観的現実を呑み込み、生物学は歴史学と一体化する。
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・自分たちの巨大な力の源泉であるだけでなく、特権的な地位を道徳的な面から正当化してくれるような、何か不思議な特性を私たちが享受している
→その人間特有の輝きとは何か?・伝統的一神教の答え:サピエエンスだけが不滅の魂をもつから
・人間には不滅の魂があるが、動物はただの儚い肉体にすぎないという信念は、現在の法律制度や政治制度、経済制度の大黒柱。
・最新の科学的発見は、この一神教の神話をきっぱりと否定する。
・ブタとは違ってサピエンスには魂があるという科学的根拠は皆無。
・魂という考えそのものが、進化の最も根本的な原理に反する。
・進化論は適者生存の原理に基づく。
・「individual(個人)」の言葉どおりの意味は、「分割することのできないもの」
・私は「個人」であると言えば、私の真の自己が、別々の部分の組み合わせでなく、一体不可分のものであることを意味する。
・あらゆる生物学的存在は、結合と分離を絶え間なく繰り返す、もっと小さく単純な部分から成る。
→進化論は、私の真の自己は分割することのできない、不変で不滅の本質であるという考えを退ける。
・進化は変化を意味し、永久不変のものを生み出すことはできない。
・進化の視点からはDNAが人間の本質と呼べるものに最も近いが、DNA分子は永遠不滅のものの座ではなく、変異の媒体。
・人間の優位性を正当化するときに持ち出される説には、意識ある心を持つのはホモ・サピエンスだけというもの。
・心は魂とは完全に別物。
・心は苦痛や快楽、怒り、愛といった主観的経験の流れ。
・これらの精神的な経験は、感覚や情動や思考が連結して形作る。
・心は多くの部分をもち、絶えず変化しており、それが不滅と考える理由はない。
・意識の流れは直接的に経験する具体的な現実。
・心の流れを構成する意識的経験とは、いったい何なのか?
・どの主観的経験にも根本的な特徴が二つある。
①感覚
②欲望
・動物たちには意識があるか?
→生命科学の主張:すべての哺乳類と鳥類、一部のは虫類と魚類には感覚と情動がある。
・最新理論の主張:感覚と情動は生化学的なデータ処理アルゴリズムである。
→私たちが動物が持っていると見なす感覚と情動(空腹感、恐れ、愛情、忠誠心)の陰には、主観的経験ではなく、無意識のアルゴリズムだけが潜んでいるかもしれない。
・心と意識について科学にわかっていることは少ない。
・現在の通説:意識は脳内の電気科学的反応により生み出され、心的経験は何かしら不可欠なデータ処理機能を果たしている。
・脳内の生化学的反応と電流の寄せ集めが、どのようにして苦痛や怒りや愛情の主観的経験を生み出すかは、誰にも想像がつかない。
・脳は非常に複雑な器官。
・800億を越えるニューロンが何十億もの電気信号をやりとりすると、主観的な経験が出現する。
・個々の電気信号の送信と受信は単純な生化学的現象。
・そうした信号の相互作用が起こると、はるかに複雑な意識の流れが生まれる。
・この説明は、ある種の現象(何十億もの電気信号があちこちに伝わっていること)が、まったく異なる種類の現象(怒りや愛の主観的経験)をどうして生み出すかについて、何一つ見識を示さない。
・主観的経験にはどのような進化上の利点があるのか、科学者は知らない。
・人間はなぜ空腹や恐れの主観的経験をするのか?
・電気信号により全システムが機能しているなら、なぜ私たちは恐れを”感じる”必要があるのか?
・主観的経験は何をしているのか?
・身体活動の99%が意識的な感情を必要とせずに起こる。
・なぜ残る1%の場合に、ニューロンや筋肉や腺にはそのような感情が必要なのか?
・心そのものの主導により多くの連鎖反応が始まる。
・記憶や想像、思考とは何で、どこに存在するのか?
→それらは何十億というニューロンにより発せられる膨大な数の電気信号。
・記憶や思考を考慮に入れても、何十億というニューロンを通過して筋肉の活動で終わる一連の電気科学的反応から逃れられない。
・生き物はアルゴリズムであり、アルゴリズムは数式で表せる。
・主観的経験を含むアルゴリズムはあるのだろうか?
→これまでのところ、そのようなアルゴリズムは知られていない。
・私たちの行動と決定はすべて魂から生じると、何千にもわたって信じてきた。
・それを指示する証拠はなく、代替説が出てきたため、生命科学者は魂を見捨てた。
・心も魂の仲間入りをすべきかもしれない。
・主観的感情は絶えず経験しているので、その存在は否定しようがない。
・現代の政治や倫理体系は主観的経験の上に成り立っている。
・脳の活動だけに注目して解決できる倫理的ジレンマはほとんどない。
・2016年の時点で現代科学が提供できる意識の仮設のうち、最高のもの
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・意識は複雑な神経ネットワークの発火により生み出される、一種の心的汚染物質。
・意識は何もしない。ただそこにあるだけ。
・私たちは自分以外の人に心があると、反論の余地がないまでに証明することはできない。
・他人の場合には、ただ意識があると推定しているだけで、本当に意識があると確実に知ることはできない。
・他人にも自分と同じような心があるかどうかという「他我問題」を克服したものは一つもない。
・最善のテストは「チューリングテスト」であるが、それは社会的慣習しか検討しない。
・自分のもの以外にも心があると認めるのは、社会的・法的慣習にすぎない。
・人が本当はどういう人間なのかは関係ない。
・肝心なのは、他者に自分がどう見られているか。
・コンピュータに現実に意識があるかどうかは関係ない。
・肝心なのは、人々がそれについてどう思うかだけ。
・あるものに意識があるかどうかを判定するときに探し求めるのは、私たちと情動的な関係を結ぶ能力。
・私たちは意識を必要とするアルゴリズムに馴染みがないので、動物がすることには、意識的な記憶や計画ではなく非意識的アルゴリズムの産物であると見なせる。
・ホモ・サピエンスを優位に立たせる具体的な心身の能力。
・道具の製作や知能ではない。
・私たちの世界征服における決定的要因:多くの人間どうしを結びつける能力。
・ホモ・サピエンスは大勢で柔軟に協力できる地球上で唯一の種。
・なぜ人間だけが、これほど大規模で高度な社会制度を構築できるのか?
・大規模な人間の協力はすべて、究極的には想像上の秩序を信じる気持ちに基づく。
・想像上の秩序:私たちの想像の中にのみ存在しているにもかかわらず、重力と同様、冒すべからざる現実であると私たちが信じている一群の規則。
・客観的事実:物事は私たちが信じていることや感じていることとは別個に存在する(たとえば重力)
・主観的事実:私個人が何を信じ、何を感じているか次第
・共同主観的レベル:大勢の人の間のコミュニケーションに依存する。
・歴史における重要な因子の多くは、共同主観的なもの(たとえばお金)。
・私たちは、自分の人生には何らかの”客観的”な意味があり、自分の犠牲が頭の中の物語以上のものにとって大切であると信じたがる。
・ほとんどの人の人生には、彼らが互いに語り合う物語のネットワークの中でしか意味がない。
・人々は絶えず違いの信念を強化しており、それが無限のループとなり果てしなく続く。
・互いに確認し合うごとに、意味のウェブは強固になり、他の誰もが信じていることを自分も信じる以外に選択肢がなくなる。
・歴史を学ぶということは、そうしたウェブが張られたりほどけたりする様子を眺め、ある時代の人々にとっては重要であった事柄が、子孫にはまったく無意味になるのを理解すること。
・共同主観的なものを生み出す能力は、人間と動物を隔てるだけでなく、人文科学と生命科学も隔てている。
・生命科学:思考と情動と感覚はただの生化学的アルゴリズムにすぎず、遺伝コードを解読し、脳内のニューロンを一つ残らずマッピングすれば人類の秘密をすべて知ることができる。
・人文科学:共同主観的なものの決定的な重要性を強調し、そうしたものはホルモンやニューロンに還元できない。私たちの想像上の物語の中身には真の力があると認めること。
・21世紀の間に歴史学と生物学の境界はあいまいになる。
・イデオロギー上の虚構がDNA鎖を書き換え、政治的関心や経済的関心が気候を再設計し、山や川から成る地理的空間がサイバースペースに取って代わられる。
・人間の虚構が遺伝子コードや電子コードに翻訳されるにつれ、共同主観的現実は客観的現実を呑み込み、生物学は歴史学と一体化する。
・自分たちの将来を知りたければ、この世界に意味を与えている虚構を読み解くことも必要。