ありのままに生きる

社会不適合なぼっちおやじが、自転車、ジョギング等々に現実逃避する日々を綴っています。

 32歳

 今日で32歳になった(なってしまった)。肉体だけは歳をとるが、精神的には中学生くらいからあまり成長していない気がして、こんな32歳でいいのだろうかとも思う。特別人に迷惑をかけているわけでもないと思うので、このままでもまあいいか。


 体力的な面では、あまり衰えを感じない。高校、大学のときは運動を何もしていなくて、だらだらしていた。反面、ここ数年は自転車に乗るようになったので、学生の頃よりは今のほうが元気だ。もうすぐ暖かくなりそうだし、今年も自転車であちこち走りに行くぞ。


 日記のタイトルを”ありのままに生きる”というものにしているが、今まで、このタイトルについて書いたことがなかった。誕生日ということもあり、たまには真面目?なことを少し書いてみたい。


 ”ありのままに生きる”というタイトルにした理由は、その頃読んでいた本に、”ありのままに人生を生きる”とか、”ありのままにものを見る”といったことが書かれていて、なんとなくそんな生き方ができたらいいなあと思ったからだ。
 実際のところ、”ありのまま”が意味するところは、よくわかっていなかった。時々そのことについて考えていて、最近になって少しわかってきた気がした。


 例えば、”ありのままにものを見る”ということを考えた時、”ありのまま”の意味するところは、先入観や偏見なくものを見ることになると思う。
 人は生きている間に様々な経験を積むことで、自分なり考え方やもののとらえ方が決定されてくる。そうすると、先入観や偏見みたいなものはどうしたって入り込むので、”ありのまま”にものを見るなんてことが本当にできるのだろうか。


 極端な場合を考えると、ポジティブ志向の人と、ネガティブ志向の人がいた場合、同じものを見ても感じ方が違う。全く逆になるはずだ。”ありのまま”というのは、どうもその中間、つまりニュートラル(中立)、中庸ということになるのではないかと思う。
 色即是空という言葉があるが、世の中の出来事には色はなく、良い、悪いと色をつけているのはそれぞれの人間であるという意味だそうだ。”ありのまま”=”色のついていない出来事”ということになるのかな。
 結局、”ありのままに生きる”とは、自分にふりかかった出来事に対して、それが自分にとって良い、悪いで判断するのではなく、一歩下がって俯瞰した立場から判断すること。そして、素直に受け入れ、受け止めて先に進んで行く、というようなことかと思う。


 本当のところ、わかったような気になっているが、まだよくわかっていない。結論めいたことを書いたが、なんだか中途半端な感じもする。もう少し考えて、また書いてみたいと思う。