ありのままに生きる

社会不適合なぼっちおやじが、自転車、ジョギング等々に現実逃避する日々を綴っています。

ホモ・デウス -テクノロジーとサピエンスの未来-

ユヴァル・ノア・ハラリ 「ホモ・デウス」メモ 

ホモ・デウス 上下合本版 テクノロジーとサピエンスの未来

ホモ・デウス 上下合本版 テクノロジーとサピエンスの未来

 

 ユヴァル・ノア・ハラリ 「ホモ・デウス」メモ

 

第2部 ホモ・サピエンスが世界に意味を与える
第5章 科学と宗教というおかしな夫婦

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【まとめ】
・宗教は科学研究の倫理的正当性を提供し、引き換えに、科学の方針と科学的発見の利用法に影響を与える。
・宗教的信仰を考慮にいれなければ、科学の歴史は理解できない。
・近現代の歴史は、科学とある特定の宗教、人間至上主義との間の取り決めを形にするプロセスとして眺めたほうが正確。
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・現代世界は近代以前の世界とはまったく違う。
・近代社会は数世紀のうちに飢餓と疫病と戦争を克服した。
・共同主観的な神話を捨て、客観的な科学知識を採用した成果?
・今後この課程が加速する?
・虚構の神や国家や企業への関心を失い、物理的現実や生物学的現実の解明に的を絞る?
・物事はそれより複雑。
・科学は共同主観的な現実が客観的現実と主観的現実を完全に制御することを可能にする。
・人々が自分のお気に入りの虚構に合うように現実を作り変えるにつれ、コンピュータと生物工学のおかげで、虚構と現実の違いがあやふやになっていく。


・科学の台頭は、少なくとも一部の神話と宗教をかつてないほど強力にする。
・現代の科学は宗教とどう折り合いをつけるかという疑問に立ち帰るべき。


・科学と宗教にまつわる誤解は、宗教の定義に仕方が間違っているために生じる。
・宗教は迷信と同一視することはできない。
・大半の人は自分が最も大切にしている信念を「迷信」とは呼びそうにないから。
・私たちはつねに「真実」を信じる。
・迷信を信じるのは他の人々だけ。
・超自然的な力を信じる人はほとんどいない。
・魔物や霊や妖精の存在を信じる人にとり、それらは超自然的ではない。


・ほとんどの宗教は、その宗教抜きにはこの世界を理解することなどできないと主張する。
・その宗教の教義を考慮に入れなければ、病気や旱魃地震の真の原因は理解できないという。


・宗教を「神の存在を信じること」と定義するのにも問題がある。
・宗教は神ではなく人間が創り出したもので、神の存在ではなく社会的な機能により定義される。
・人間の法や規範や価値観に超人間的な正当性を与える網羅的な物語であれば、そのどれもが宗教にあたる。
・宗教は、人間の社会構造は超人間的な法を反映していると主張することで、その社会構造を正当化する。


・宗教は、永遠で不変の道徳律の体系に、私たち人間は支配されていると、断言する。


自由主義者も、共産主義者も、現代の他の主義の信奉者も、自らのシステムを「宗教」と呼ぶのを嫌う。
・宗教を迷信や超自然的な力と結びつけて考えているから。
・宗教的というのは、人間が考案したのではないもののそれでも従わなければならない何らかの道徳律の体系を、彼らが信じているということにすぎない。
・あらゆる人間社会がそうした体系を信じている。
・宗教ごとに、その物語も、具体的な戒律も、約束する報いと罰の詳細も異なる。


・宗教と科学の隔たりが小さいのとは裏腹に、宗教と霊性の隔たりはずっと大きい。
・宗教が取り決めであるのに対し、霊性は旅。
 <宗教>:この世界を余すところなく描写し、あらかじめ定められた目標を伴う、明確に定義された契約を提示する。
 <霊的な旅>:人々を神秘的な道に連れだし、未知の行き先に向かわせる。
・そのような旅に「霊的」というレッテルを貼るのは、善悪二つの神の存在を信じていた古代の二元論の宗教の遺産。
 ↓
・善良な神は純粋で不滅の魂を生みだし、悪魔が物質から成る世界を創り出した。
・悪魔は物質世界を永続させ、欠陥を抱えた自分の創造物に命を吹き込むため、魂を誘い出し、物質でできた体の中へ閉じこめた。
・悪魔は肉体的な喜びで絶えず魂を誘惑し、魂は肉体的な欲望を渇望して肉体から肉体へ転生しつづける。


・二元論は、物質的な束縛を断ち切り、霊の世界へ戻る旅にでるように指示する。
・そのような旅は宗教とは根本的に違う。
<宗教>:この世の秩序をより強固にしたい
<霊性>:この世界から逃れようとする
・宗教にとり、霊性は権威を脅かす危険な存在。
・宗教は、信徒たちの霊的な探求を抑え込もうと躍起になる。


・霊的な旅はいつも悲劇的。
・霊的な旅は、個々の人間にだけふさわしい孤独な道のり。
・無用になった宗教構造にいきり立つ人々は、それに取って代わる新たな構造を作り出すことが多い。
・二元論者たちにもそれが起こり、彼らの霊的な旅はやがて宗教的な体制となった。


・宗教と科学の関係の二つの解釈。
①科学と宗教は不倶戴天の敵どうしで、近代史は科学の知識と宗教の迷信との死闘で形作られた。
・これは必然的なことではない。
・科学が人間の実用的な制度を創出するには、いつも宗教の助けが必要。
・科学者が着手する実際的な事業もすべて、宗教的な見識をより所としている。

②科学と宗教は完全に別個の領域である。
・科学は事実を研究し、宗教は価値観について語り、両者はけっして交わらない。
・宗教は倫理的判断を下すだけにとどまらない。
・宗教は事実に関する主張をしないかぎり、実用的な指針を提供できない。
→科学と衝突する可能性が高い
・多くの宗教の教義で重要な部分は倫理的規範ではなく、事実に関する主張。(神は存在する、魂はあの世で罪の報いを受ける、聖書は神によってかかれた、等々)


・宗教の物語に含まれる三つの要素
①倫理的判断(「人の命は神聖である」)
②事実に関する言明(「人の命は受精の瞬間に始まる」)
③実際的な指針(倫理的判断を事実に関する言明と融合させることから生じる、「受精のわずか1日後でさえ、妊娠中絶は絶対にゆるすべきではない」といったもの)


・科学には、宗教が下す倫理的判断を反証することも確証することもできない。
・事実に関する宗教的な言明については、科学者にも言い分がある。


・倫理的判断と事実に関する言明は、区別が難しい。
・事実に関する言明をたんに信じることが美徳となり、疑うことは罪になる。
・倫理的判断は、事実に関する言明を内に秘めることが多い。
・人間の価値観の中には事実に関する言明がつねに隠されているので科学はつねに倫理的ジレンマを解決できる?
・倫理的な議論はすべて、幸福を最大化する最も効率的方法にまつわる、事実に関する議論?
幸福の科学的な定義も測定法もないため、倫理にまつわる論争に決着をつけるのは至難の技。


・科学には越えられない一線がある。
・何らかの宗教の導きがなければ、大規模な社会的秩序を維持するのは不可能。
・宗教は科学研究の倫理的正当性を提供し、引き換えに、科学の方針と科学的発見の利用法に影響を与える。
→宗教的信仰を考慮にいれなければ、科学の歴史は理解できない。


・科学と宗教はともに何よりも真理に関心があり、それぞれ異なる真理を養護するので、衝突する定めにある。
・じつは科学も宗教も真理はあまり気にしないので、簡単に妥協したり、協力したりできる。
<宗教>:秩序に関心があり、社会構造を作り出して維持することを目指す。
<科学>:力に関心があり、研究を通して力を獲得することを目指す。(病気を治したり、戦争したり、食物を生産したりする力)
・科学と宗教は、集団的な組織としては、真理よりも秩序と力を優先する。
→両者は相性が良い。
・真理の断固とした探求は霊的な旅で、宗教や科学の主流の中には収まりきらない。


・近代と現代の歴史は、科学とある特定の宗教、人間至上主義との間の取り決めを形にするプロセスとして眺めたほうが正確。
現代社会は人間至上主義の教義を信じ、その教義に疑問を呈するためではなく、それを実行に移すために科学を利用する。
・21世紀には人間至上主義の教義が純粋な科学理論に取って代わられることはなさそう。
・科学と人間主義を結びつける契約が崩れ去り、まったく異なる種類の取り決め、科学と何らかのポスト人間至上主義の宗教との取り決めに場所を譲る可能性がある。