ありのままに生きる

社会不適合なぼっちおやじが、自転車、ジョギング等々に現実逃避する日々を綴っています。

ヒトはなぜ自殺するのか:死に向かう心の科学

ジェシー・ベリング 著 鈴木幸太郎 訳  「ヒトはなぜ自殺するのか」メモ  

ジェシー・ベリング著 鈴木幸太郎 訳

「ヒトはなぜ自殺するのか:死に向かう心の科学」メモ   

 

7章 死なないもの
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【まとめ】
・死後も意識は残るという誤った信念が私たち人間の「デフォルトの姿勢」
・社会的接触(宗教儀式への参加等)と目的のある生き方はは自殺のリスクを軽減する。
・自殺がその人の魂を「汚す」という無意識的な感情により、自殺は道徳的に悪とみなされる(宗教的である必要も、魂の存在を信じている必要もない)。
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・啓示の訪れ方は人さまざま。


・「死後にはなにかかがあるに違いない」
・永遠の魂、この世の危険や破滅から自由になった形なき意識、天へと飛翔し転生する自己意識をもつエネルギーといったものは存在しないという科学的確信をもって生きることは、意志決定に大きく影響するはず。
・ジレンマ:あの世はない、ということは証明できない。


神経科学の基本:心は脳がしていること。
スティーブン・ホーキング
「脳がコンピュータのようなものだと思うが、コンピュータは部品がだめになると、動かなくなる。壊れたコンピュータには天国もあの世もない。」
・デイヴィッド・チャルマース
「意識はつねに物理状態と相関していて、死んでしまえば、意識をもった主体はなくなる」
・脳が死ねば、心も生じない。
フランシス・クリック
 「私たちはニューロンの集合体でしかない」


・脳と心が共依存関係にあるのを認めている人でさえ、死後も心は残ると信じたりするのだろうか?


<事故死する人物についての文章を用いた実験>
・魂は死なないないと信じる人
 心的能力についての見方を「身体的なもの」と「精神的なもの」に分ける傾向がある。
・魂の存在を信じない人
 死とともに心のはたらきはなくなったと考える。
 「死んでいる」というほんとうの意味を理解するには、時間がかかった
→死後も意識は残るという誤った信念が私たち人間の「デフォルトの姿勢」


・自殺は心というシステムの欠陥かもしれない。
・想像力は両刃の剣。
・一方の側には希望と夢、一方には最悪の恐怖がある。
・もしこれこれの行為や社会的行動をとったら、それがほかの人間にどんな心理的影響を与えるのか想像する。
・未来の自分がそうした想像上の条件下で感じると思えるものを情動として感じる。
・予想される情動が現在に漏れてくると、それが私たちの決定に影響をおよぼすようになる。
・これらの情動には、脳を失った心が感じることも含まれる。


・自分自身を思い描く能力は、自分が死んだらほかの人がどう反応するか明確に思い描けることを意味する。
・自分の葬儀で悲しむ人たちの劇的場面、敵が責められている場面、他者が最後は自分を認めてくれる場面。
・自殺につながる心の痛みや怒りの状態にあるとき、これらの場面は、他者への共感的気遣いやためらいを圧倒する。
・復讐も強力な牽引力になる。


・多くの自殺者は耐えがたい心の苦しみから逃れようとして死ぬことを渇望する。
・一部の自殺者は、ほかの人々が自分と同じ深い苦しみを「味わう」ところを見るという認知的錯覚により、部分的には動機づけられている。


<認知的錯覚>
・ルートヴィッヒ・ウィトゲンシュタイン
「私たちの視野に限りがないように、私たちの生にも終わりがない」
フロイト:死後の世界を心が仕掛けたトリックとみなした
「自分自身の死は思い描けないもので、それを思い描こうとすれば、自分か観察者として死後も生き残らなければならない。無意識のなかでは、誰もが自分自身の不死を確信している。」
・未来を想像するには過去の経験に依存せざるをえない。
・未来について考えるとき、いまある自分の主観的現実にもとづいて考えるしかない。
・未来は一種の過去であり、意識の不在を意識的に経験したことがないので、死んでいる状態は、どうシミュレーションしようとしていもできない。
・死の「状態」というものはない。
・「状態」をもつものは、どれも知覚される環境の属性を意味し、それは知覚する脳を必要とする。
・死後の世界の認知的錯覚に陥っていると、私たちの意志決定はその影響を大きく受ける。
・その意志決定には、自らの命を絶つことも含まれる。


・死後も意識は残り続けるという信念は、進化したヒトの心がもつ危険なほど強力な錯覚。
・恐怖には実利的側面もある。


<宗教と自殺の関係>
・中世、自殺はキリスト教では極悪な罪のひとつとして位置づけられていた。
・今日でも、世界の主要な宗教はどれも自殺を道徳的に悪いものとしている。
・精神病が複雑な役割を果たすことは認めている。
精神病者が自殺した時は「本来のその人ではなかった」と考える傾向にある。


・自殺すると永遠に続く罰が待つという脅しは、自殺を思いとどまらせるか?
・ほとんどの場合、そうなることはない。
・自殺しようとしている人間の大部分は、いま以上に悪い自分を想像することができない。
・地獄でさえもありがたい救いの地。


・自殺のリスクを減らすのは宗教の厳しい教義や神学理論ではなく、それとは別の何か。
・自殺のリスクを減らすのは、宗教儀式への参加。
・教会に通う習慣をもつ人は、もたない人に比べ、自殺する確率は4分の1。
・宗教儀式への参加とネットワークによる接触は、社会との関わりと社会的支援を強めることを介して自殺にリスクを低める。
・宗教を自殺への緩和剤にしているのは社会的接触だけではない。
→重要なのは、社会的接触プラス目的のある生き方。


・なぜ自殺は道徳的に悪とみなされるのか?
・自殺がその人の魂を「汚す」という無意識的な感情と関係しているから。
・こうした思考バイアスをもつには、宗教的でも魂の存在を信じている必要もない。