ありのままに生きる

社会不適合なぼっちおやじが、自転車、ジョギング等々に現実逃避する日々を綴っています。

トマ・ピケティ 「21世紀の資本」

 今日は第四章を読んだ。

21世紀の資本

21世紀の資本

トマ・ピケティ 「21世紀の資本」 第四章 <古いヨーロッパから新世界へ>のメモ


ドイツの資本変化の軌跡を、イギリス、フランスと比較すると、全体的な推移は似ている


 1.農地が長期的には住居用・商業用不動産と産業・金融資本に取って代わられている
 2.第二次大戦後に資本/所得比率は着実に上昇し、1914-1945年の落ち込み以前の水準
   に戻りそう


19世紀後半までドイツでは農地が重要視されていたので、イギリスよりもフランスに似る
産業資本の価値はフランス、イギリスよりも上だった


「外国資産」
第一次大戦直前のドイツの外国資産はフランスの半分、イギリスの1/4だった
⇒ドイツには植民地帝国がなかったため


過去数十年間、貿易黒字のおかげでドイツはかなりの外国資本を蓄積している
2010年には、ドイツの純外国資産ポジションは、国民所得の50%近く、1913年と同水準


「公的債務、公的資本、民間資本」
ドイツの歩みはフランスに似ている
1930-1950年の平均インフレ率は約17%、物価はこの期間に300倍になった


ドイツは20世紀、どの国よりも、インフレで公的債務を埋めてしまった国
1920年代のハイパーインフレはドイツ社会と経済の安定を激しく揺るがせた


公共資産の蓄積の面でも、ドイツはフランスに似る
1950-1980年代にドイツ政府は銀行部門、産業部門の大部分を獲得、一部を1980-2000年に
売り払ったものの、かなりの保有高を残している
2010年には純公共財産はほぼゼロになり、1950年代以来着実に増加していた民間財産が、
国富のほぼすべてをしめている


民間資本の価値には、フランス、イギリスに比べて大きな違いがある
ドイツの民間財産は、第二次大戦後すさまじく増加したが、イギリス、フランスより
少ない(ドイツが国民所得4年分に対し、フランス、イギリスは5,6年分、イタリアと
スペインは6年分超)
⇒他のヨーロッパ諸国に比べてドイツの不動産が低価格、家賃統制などの持続的要素


ドイツとイギリス、フランスのちがいの大部分は住宅ストックの価値の差ではなく、主に
企業資本の価値の差のせい
⇒ドイツ企業の株式市場評価の低さから生じている(時価総額でなく簿価を使うと、
ドイツの民間財産はフランス、イギリスの水準に上昇する)


ドイツ企業の市場価値の低さは「ライン型資本主義」、「利害関係者モデル」と呼ばれる
特徴の反映らしい

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20世紀に資本/所得比率が崩壊した理由、その後めざましい回復をとげた理由


この現象はヨーロッパ諸国すべてに生じた


1914-1945年の資本/所得比率の落ち込みは、二度の世界大戦による資本(建物、工場、
インフラ等)の物理的破壊だけではごく一部しか説明できない


二回の大戦が財政と政治に与えた打撃のほうが、実際の戦闘よりも大きな破壊的影響を
資本にもたらした。
主な要素は、1外国ポートフォリオの崩壊、貯蓄率の低さ、2企業の混合保有と規制
という新たな戦後の政治的背景の中で生じた資産価格の低さ


外国資本減少の一因は、革命による収用と非植民地化プロセス、もっとも大きい要因が
1914-1945年にヨーロッパ諸国で見受けられた貯蓄率の低さ
貯蓄者たちは外国資産を手放し、所得が減少した富裕層は資本の切り売りで生活水準を
維持した
さらに、わずかな民間貯蓄の大部分は膨大な財政赤字に吸収された


⇒1913-1950年の資本/所得比率の減少はヨーロッパの自殺の歴史であり、特にヨーロッパ
の資本家たちの安楽死の歴史だった

ある程度まで意図的な政治選択として、資産の市場価値とその所有者の経済力を、
おおむね意識的かつ効果的に、削ぐのが狙いだった。

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米国の資本の形と水準の変遷


新世界の米国は旧世界に比して資本があまり重要でなかった
イギリス、フランスに比べると、はるかに低かった
誰でも広大な土地を所有できたので、土地の市場価値が低く、たいした価値になら
なかった


ヨーロッパと米国の社会的格差構造は根本的にちがっていた
米国では総資産がかろうじて国民所得3年分で(ヨーロッパは7年分)、地主の影響力と
富の蓄積が新世界ではあまり重要ではなかった


19世紀中にはヨーロッパと同様、産出に農業が占める割合は減少し、農地価格も
ヨーロッパと同様下落した


20世紀の各種の打撃は、ヨーロッパに比べて米国でははるかに弱かった


20世紀の米国の資本/所得比率は、ヨーロッパに比べて安定していた

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米国では、外国資本は重要性をもたなかった(一度も植民地大国になっていないため)


1913年の世界は、ヨーロッパがアフリカ、アジア、中南米の大部分を所有しており、米国
は自国を所有している状態


二回の世界大戦で米国の純外国資産ポジションはプラスに転じた
米国は戦争当事国に資金提供して、貸し手となったものの、米国の純外国資産保有高は
比較的ささやかなままだった(国民所得の10%でしかなかった)

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カナダでは事態が異なり、国内資本の大部分をイギリスを中心とする外国の投資家が
所有していて、天然資源部門(銅、亜鉛、アルミニウムの鉱山、炭化水素の井戸)では
その傾向が顕著だった


外国人投資家の資産は、全体の5分の1〜4分の1を占めていた


二回の世界大戦で状況は変わった(ヨーロッパの市民が外国資産の多くを売却せざるを
得なかったから)

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米国南部では奴隷の総価値は国民所得2.5-3年分で、農地と奴隷の価値を合わせると国民
所得4年分超だった
南部の奴隷所有者たちは、古いヨーロッパの地主たちよりも多くの富を牛耳っていた
農地にたいした価値はなかったが、土地利用に必要な労働力も所有することにより
総資本がさらに多くなった


米国北部には比較的平等な社会があり、土地が豊富で誰もが比較的安く地主になれたため
、また新しい移民にはたくさんの資本を蓄積する時間がなかったため、資本が実質的に
あまり価値をもたなかった
南部には、所有権の格差がきわめて極端で暴力的な形をとった世界があった
人口の半分が残りの半分を所有しており、奴隷資本が土地資本を補い、それを上回っていた